【仙台発着おさんぽ001】多賀城(廃寺跡~東北歴史博物館)
遠出ができないので、仙台市近辺で身近な場所で旅行気分になれる場所を散策中。
条件(①日帰りできる場所、②その日に気が向いた場所、③リフレッシュできる場所)
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今日は陸前浜田、馬の背に向かおうとし、あおば通り駅から仙石線に乗った時点で、強風であることを風の音から感じ、電車が止まったらどうするかと悩み行先変更を電車内で検討。仙台沿岸部徒歩お散歩も頭をよぎったが、強風のなか寒さに耐えられなくなる可能性も考えられたため、地図上で加瀬沼を見つけ多賀城駅で下車することにした。
開館前の多賀城図書館、外構をしばし観察した後、徒歩で東北歴史博物館へ。その道すがらにある多賀城廃寺跡の雰囲気がよかった。静寂に包まれた穏やかな雰囲気、雨上がりということもあり、地面は水を多く含んでおり、植物が生き生きしてみえた。太極拳らしきことをしている人々もいた。
道を抜けて、東北歴史博物館へ。(コロナ禍での仙台市と宮城県の公共施設の開館方針が異なることを改めて感じつつ)デンマーク・デザイン展は4月23日から。定期的に館長講座もやっているようだ。常設展のなかで仙台中心市街地の街並み形成をおさらいし、はじめて3階の情報コーナー、こども歴史館(縄文の模様の付け方おもしろい)、図書情報室にも入ってみる。下記の写真資料がよかった。(はじめて見る鹿落坂の写真も有。仙台風景集よりと書いていたのでまた調べてみよう)
平成10年に建設された東北歴史博物館(設計者:株式会社空間設計・平成6年コンペにより決定)。宮城大学など、この頃に建設されている建物、素材にお金をかけているなと感じることがあったけれど、トイレの男女の空間認識を、石材の色で使い分けていることに今回気づき、驚いた。
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目的地の加瀬沼にたどり着かずに今回はお散歩終了。(朝出発してから家に着くまでの時間 7:30~13:00)
【記録】仙台市青葉区花壇大手町に関する資料
【記録】プロフィール・研究・寄稿
《略歴》
Risa YANAGIYA 柳谷理紗
- 1985年仙台市若林区生まれ。2006年宮城工業高等専門学校建築学科卒。2008年新潟大学工学部建設学科建築学コース卒。2008年仙台市役所に建築職として入庁、宮城野区街並み形成課配属。2012年復興事業局事業計画課、2013年国土交通省都市局都市安全課(出向)勤務を経て、2014~2020年度に震災メモリアル事業担当となり、震災復興メモリアル等検討委員会運営、せんだい3.11メモリアル交流館の立ち上げ、震災遺構仙台市立荒浜小学校の展示調整・運営等に携わる。
- 東日本大震災後、仙台市職員有志団体「Team Sendai(チーム仙台)」のメンバーとして職員の証言の聞き取りを始め、2017年度からは東北大学・常葉大学との共同研究として災害エスノグラフィー調査を開始。2018年度からは市も事業化し、調査に加わり担当として証言の編集等を行う。
- 学生時代、仙台都市総合研究機構の市民研究員になったことを縁に、仙台市青葉区大手町の都市計画道路跡地を活用したコミュニティを育む畑「まちなか農園」に関わる。それをきっかけにその土地の住民となり、現在は町内会の役員として地域をバックアップ。
《アカウント》
・twitter https://twitter.com/infoeqtm
《研究記録》
・高齢者向け自立支援型リフォームの研究(2006) http://archi06.da-te.jp/
・Team. Sendai(チームセンダイ)」による被災自治体職員の災害対応の継承に関する研究(地域安全学会梗概集 No.43, 2018. 11)
《寄稿》
・Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2020「2020年リレー日記」
《運営・参画プロジェクト等》
・片平地区まちづくり会 https://note.com/sendai_katahira
・まちなか農園藤坂 http://matinakafarm.da-te.jp/
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所 見学(1)
今回の旅行の一番の関心事はポーランドの国立博物館となっていアウシュビッツ・ビルケナウ。そこで公認ガイドを20年以上続けている中谷剛さんに約3時間案内してもらいました。
強制収容・大量虐殺にいたった事実と背景(ユダヤ人はじめ社会的思想の指導者となり得るポーランド人や障害者、LGBTなどが虐殺の対象。偏見や差別、大衆迎合、無関心などがその根底にあることなど)、そしてそれを日本社会やグローバル化が進んだ現代の課題とつなげて問いかけてくれました。今行けて本当によかったなと思いました。
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入口でレシーバー・イヤホンを受け取り、ガイド案内を受ける参加者にガイドの声が届く仕組み。
最初は初期に作られたアウシュビッツ強制収容所内にある展示室と遺構を見学。
ここまでで1時間50分ほど。小休憩を挟み、無料バスに乗って3kmほど先にあるビルケナウへ。
アウシュビッツ側では話を聞くことに集中していたが、ビルケナウでは歩きながら参加者が中谷さんに色々質問したり、様々な国からの来訪者や多様なルーツをもったガイドのことも聞くことができた。
ガイドの中谷さん
20年以上前に、初の外国人公認ガイドになった中谷さん。ガイドブックやwebサイトにもメールアドレスが紹介されており連絡を気軽に取ることができた。(約1ヶ月半ほど前に予約)淡々としながらも、「二度と繰り返さないために」という生存者や現地の人々の思いなども代弁してくれつつ、日本の若い世代に向けて多くの問いかけをしてくれている方だと感じた。
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今回、オランダ以外は、東日本大震災など災禍の記憶の継承や表現に同じく興味関心を持つ仲間と2人で一緒に旅をしています。
一人旅行だったら感じたことの自分のなかの落とし込みがしきれなさそうだったけど、2人でよかった。
アウシュビッツからクラクフに戻るバスの待ち時間でたまたま見つけた博物館近くのレストランで、すごく美味しいポーランド料理と地ビールを飲みながら、この土地で感じたことを、振り返りできた時間も、とってもよかった。