Risa Yanagiya's blog

雑記と、水辺と中心とした定点観測、お散歩・見つけた資料の記録

片平地区の「がんばる避難施設」

東北大学の学生さんの卒業研究の一環で、ヒアリングの依頼があり、片平地区の「がんばる避難施設*」設置の経緯を中心に、今野会長と柳谷で対応しました。

 

*地区避難施設(がんばる避難施設)は、東日本大震災の反省を踏まえて、仙台市地域防災計画に、新たに位置付けられた避難所の種類です。(東日本大震災 仙台市 復興五年記録誌 p.393.402参照)

https://www.city.sendai.jp/shinsaifukko/shise/daishinsai/fukko/documents/07_c11-13.pdf

 

Q. 防災が活発なきっかけは?

A.  単位町内会だけで解決できない課題に対応するため、地域内または小学校区単位で活動する経験を重ねていました。

小学校区単位での顔の見える関係がつくられ始めた頃に、東日本大震災が発生しました。既に顔の見える関係性があったので、発災の次の日から災害対策本部を設置し、対応することができました。

平成23年9月には災害時の対応と課題を、それまで関係のあった専門家や大学生の協力も得ながら報告書(片平地区東日本大震災における避難状況等の調査報告書;平成23年9月;片平地区まちづくり会 NPO法人都市デザインワークス)としてとりまとめ、仙台市へ提出。そのことが、その後のまちづくり活動にもつながっています。

まちづくり活動の一つの柱として、安心・安全なまちづくりを位置付けています。

www.udworks.net

 

Q. 防災活動を行う上で気を付けていることは?

A.  ①持続可能な体制づくり(分科会化して活動を展開など)と、②人材育成(SBL、若手役員の発掘、子どもまちづくり隊など)です。

 

Q. 課題は?

A. 世代交代が必要な時期を迎えており、後継者育成が課題です。

 

Q. 東日本大震災時の対応について

A.  仙台駅に近い片平丁小学校には、多くの帰宅困難者が押し寄せました。震災前は、地域の人が避難する準備だけしかしていませんでした。近隣住民が避難所に入ることができず、集会所などで避難者を受け入れたりしていました。

それらの経験から、在宅避難者への対応などの必要性を感じました。

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350人の収容想定のところに、約1,500名が避難。

 

Q.  がんばる避難施設が地域内で多数指定されているが、なぜ?

A.  上記のとおり、東日本大震災時に困った経験から、事前の位置付けが必要であることを感じていた。平成27年度の「防災行動マップ」作成に合わせ、各町内会で最低一つは「がんばる避難施設」を位置付けておくように、働きかけた。

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片平地区 防災行動マップ(裏面・ちいき地図)

片平地区防災行動マップ(平成28年3月発行)|片平地区まちづくり会 事務局ノート|note

 

Q. 片平地区一押しの防災活動は?

A. 「防災×宝さがしゲーム」です。楽しみながら学べます。中学生の時点では参加者だった子どもたちも、高校生になった際にはガイドを務めてもらいました。

また、四季イベントとして、コロナ前は、もちつきなども実施していました。その過程は炊き出しそのものです。子どもたちのためなら、親世代も参加してくれます。

 

《まとめ》

片平地区は、なぜ積極的に「がんばる避難施設」を設置しているのか。そのような疑問からヒアリングをしていただきましたが、東日本大震災時の実体験と振り返りの結果がということがわかりました。

また、河岸段丘の下側に位置している花壇大手町・霊屋下・米ケ袋地区は、特に遠くまで逃げられない方のために、地域内にも避難できる場所を確保する必要性があるということも影響しています。

また、がんばる避難施設の位置付けにあたっては、普段から町内会活動に参加している集合住宅が応じてくれていたりと、関係性の有無が大きいことも改めて感じました。

 

コロナ禍によって、さらに避難所の収容人数が減っている状況です。個々人が循環備蓄をするなど、(あくまでも安全な場所であるならば)自宅避難を続けられる環境を整えておくことなども、より一層大事になりますね。

 

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